精神安定剤を手放せて(HEさん)
基礎科前期・後期を終えて

〈簡単に教室に通うまでのいきさつ〉

8年前(26歳の時)、職場の人間関係などで拒食症になる。10ヶ月で8キロ痩せ退職する。その後、過食症、うつ病で一年間引きこもりを経験。

その頃の食事は白米一膳にコンビニのフランクフルト1本のみやクッキー一缶を一気食いするなどハチャメチャ。よく風邪をひいていた。

それでも28歳の時、資格を取り社会復帰するが対人関係の恐怖の為、半年〜一年ごとの契約社員や派遣会社として働き、睡眠薬と精神安定剤を飲みながらどうにか生きている状態が続く。

とにかく疲れやすく、週末は一日中布団の中にいる事も多かった。
恭子注
食事も考え方もこれでは、誰でも、病気になると言う典型ですね。
誰でも、フランクフルトとクッキーの食生活で、なおかつ、布団の中にいる…
では、うつになる、風邪を引く、となります。

34歳の1月、人生で最もひどいインフルエンザ(新型)にかかる。4週間どんどん強い抗生物質を出され飲み続けるも息も出来ない程の咳が出続けしまいには声も出なくなり筆談にまでなった。

病院の薬では治らず、たまらず本屋の健康本コーナーに駆け込む。大森一慧先生の本などで食事による手当てがある事を知りわらにもすがる思いでいろいろ試す。

食生活を変えよう!と思い、某市で開催される大森先生の料理教室に申し込むが直前で震災が起こり中止になり断念することになる。

震災の影響で仕事も無くなり実家に戻るか悩んでいた折、岡田先生のHPの『たんぽぽ便り』に胸を打たれ実家に戻る前に是非とも受講したいと思うようになる。

受講の為、関東へ思い切って引っ越す事にしたが不安や恐怖も大きく悩みに悩んだが『自分を変えたい!』という一心でHPの22年秋コース募集開始の6月中旬にすぐに申し込んだ。
岡田先生のハッピーの本と出会って4ヶ月後の事だった。
恭子注
この即断が、後の人生を変えることになりましたね。


申し込んでからも実は正直、知らない土地での暮らしや経済の事で怖くなり『やっぱり引っ越すのはやめにして受講もあきらめて実家に戻ります』と何度先生にメールしようとしたかわからない。
恭子注
このとき、お金(受講料)を振り込んでしまっていた、という「足かせ」が、私達をやるべきことに向かわせてくれるのです。
学校に毎日行く、義務でもあります。
お金を振り込んでいなかったら、この方は、多分やめていたでしょう。




すったもんだいろいろあったがどうにか無事(!?)H22年秋コースからの受講にこぎつける。


〈受講開始〉
最初は自分が想像していた教室と違っていた為、戸惑う事もあったし、正直、こんな事の為に関東まで引っ越してきて良かったんだろうか…など絶望する事もあった。(今は絶対来て良かったと思っていますが(笑))
恭子注
はい、最初の3ヶ月間は、お引き受けした私も大変でした。
とにかく、反抗的なのです。
でも、震災で避難所にいたのを、なんとか仕合せになりたいと、引越しまでして来ようと思った方なのですから、私も何とかして「仕合せになるきっかけ」をつかんでいただきたかったのです。

後で聞いたら、「マダム達がマクロをお勉強している優雅な教室?」と思ったようでした。
ところが、食べ物を変える事は、人生を変えるほどの大変な事、それに、さらに、考え方を変える事!
これこそが、厳しく、生まれ変る生みの苦しみを通らないといけません。



しかし、受講料を支払ってある半年だけはとにかく通ってみようと心に決めていた。
恭子注
これが、上にも書いた、「足かせ」のおかげですね。



半年だけ、悔いだけは残らないようにとにかく全講座行く、それだけ目標にしていました。
恭子注
基礎科前期、基礎科後期、本科
と全講座、皆勤賞でがんばりましたね。




通い始めて3ヶ月目くらいまでは『もっと仕事に気を遣いなさいよ!』
『病気の方に気を持っていかない!』
『何で聞かないのよ!』など細かく注意されてテンションもどんどん下がっていったが皆で作った料理は全てがおいしく、へこんでも料理だけは絶対に食いたい!という食い意地だけで通っていたため、先生に対しては全く素直ではなかった。自分に『半年耐えるんだ!!』と言い聞かせて通っていました(^o^;
恭子注
どの皆さんも、たくさんのすばらしい能力の持ち主です。
なのに、それを使ってあげない(?)ので、その能力が、「う〜ん、使ってくれない〜、どこに行こうかな〜しょうがないから病気のほうにでもいくかっ!」となるのです。
病気の方に行かないように、「気」をいっぱい使ってあげるのです。
「気」は、目の前の仕事に、隣の人が笑顔になるように、使ってあげるのです。

この方は、初めて受講したにもかかわらず、料理を、これはどう切るのですか?など、「聞かないで」どんどんやってしまう癖がありました。ひとりで動いてしまうのです。
私にも聞かないし、まわりのお仲間にも聞かない。
ある意味では、能力の高い方で、なんでも一通りのことはできてしまうのです。




何度も同じ事を繰り返し注意されているうちに普段の生活の中でも仕事中にも先生の声が頭の中にこだまするようになる(笑)


そのうちに注意された時は意味が理解出来なかった事でもだんだんと『あの時の先生からの注意はこういう事だったのかも…』と少しずつ理解出来る様になった事もあった。

先生の言葉の中で特に『出来る人より出来た人にならなければいけない』
『とがめているのではない、わからない事は恥ずかしい事でも何でもないのよ』
『人にどう思われるかよりも仕事本位でみていく』
『気を流す』
『善対悪の比は、6対4でよろしい』
『求め過ぎない』
『ひとつひとつ落ち着いてやりなさい』
『オールORナッシングな考え方は×』
『誠実に誠実に』
『器を越えない』
『その人の運。その人の姑運。旦那変えても同じ』等が私には響きました。


恭子注
私の伝えたい事、すべてを、しっかり受け取ってくれました!
完璧です!
真のところがこの方は、素直だったのです。


まだまだ人に良く思われたいし、褒められたいし、好かれたいし、優しくされたい…など求め過ぎる且自己中心的性格ではあります。


この教室に来て、集団で料理を仕上げる事もとてもよい経験になりました。



集団で仕事をしていく上でどこまでやったのか、今、どのような状態であるか人に伝える事の大切さがわかりました。



以前、拒食になって会社を辞めた時、私は『もっと私の事をわかってよ!』と話合いもしないで会社の人に求め過ぎていたと今ならわかるようになりました。
恭子注
昔、「くれない族」と言う言葉が流行った時代がありました。
〜してくれない、
夫に家族に会社に世間に社会に、求めすぎるのです。
そうすると、結果は、自分が、不幸になるのです。



人と人とは100%理解し合う事は出来ない事、人が私をどう思うかも変える事は出来ない(←それはその人の自由の範囲であるのだから私は私であれば良いという事)。自分に対しても6対4でよろしい、で生きていくにあたり、気持ちが楽になりました。



このような素晴らしい体験をさせていただきました岡田先生始めクラスメイトとして共に同じ時間を過ごし良い影響を与えて下さった皆様に心より感謝致します。


そしてここまで来る事を応援してくれた両親にも早く恩返し出来る様また本科でも更に学ばせていただきたいと思います。



最後に〈食生活ビフォーアフター♪♪♪〉



☆教室に通う前☆


白米、コンビニのパスタ、スーパーの弁当、惣菜。


オムライスなど卵料理、肉炒め、焼いた鮭、ほうれん草とベーコンの炒め物など。



デザートにヨーグルト、プリン、ケーキ、シュークリーム、チョコレート、アイスは毎日どれかは欠かさず。



飲み物は100%の果汁が大好きで常に冷蔵庫に入っていた。朝は必ずミルクティーかカフェオレから始まり朝からカツ丼でも何でもOK!で食べていた。

+胃薬、整腸剤、睡眠薬、精神安定剤、頭痛薬は手放せず。

とにかく作るより弁当を買う事が多く、弁当の空容器などのプラスチックのゴミが多かった。


※大きい便り=便秘気味か下痢気味かどちらか。小さい便り=頻繁。

☆現在☆

朝はもちろん梅生番茶。たまに朝ご飯を食べる事もあるがごくまれ。



玄米ご飯、そば(教室にきて初めて十割そばの存在を知った(^o^;)、うどん(国内産小麦粉使用のものを選ぶようになった)、玄米餅、梅干し、沢庵、豆(←これらは以前は全く食さず)、味噌、醤油、車ふ、油揚げ(おいなりさんも手作りするようになった)。




とにかく国内産の物を買うようになった。自分で食べる物はなるべく手作りするようになった。



飲み物はなるべく三年番茶やたんぽぽコーヒー。たまに甘い果汁やココアも飲むが以前よりはずいぶん少ない。




※大きい便り=不規則な時や下り気味の時もあるが大量によく出る。小さい便り=濃い色のが出るようになった。以前より回数は少ない。



基礎科終了間際、目眩、おなら、下痢、口の中の苦味など好転反応が現れ、先生から運動と良く噛む事をアドバイスいただく。




そして甘いお菓子を食べた翌日、激しい胃痛と吐き気と頭痛がする事がわかり、最近では甘いお菓子に恐怖を感じる体になりました( ̄□ ̄;)!!驚きです。今までわからなかったのですが…しかし、恐怖と苦しみを知りつつ手を伸ばしてしまうまだまだ甘い自分ですが(-_-)



こちらの教室に通えた事は一生の財産になりました。ありがとうございます。感謝しております。今後ともご指導よろしくお願い致します。






 恭子から一言